苔おじさんのリベルテ通信

NPO法人リベルテの日々を苔おじさんと呼ばれている代表がつづります。

「支援」っておせっかい(ダイアリー20170729)

障害福祉の仕事をしていて、「支援」って何だろうって思うことが多々あります。
自分とこを使ってくれているメンバーも、支援を求めているところあるし、求めていない部分もあります。
で、「障がいのある人に向けてサービスを提供する事業所」として、求めている部分だけを支援しているかっていうと違うなーと思ったり、考え込んでしまうようなことも「支援」として行うことがあります。
メンバーが本当にこれ支援してほしいと思っているの?って、思うようなこともあります。


ぼくは、会話や言葉以外のコミュニケーションを使う人が多く通所していた福祉施設が最初の就職先だったので、言葉にならない人の希望とか思いとか、ときには意思があるのかどうかわからない場合もあったし、むしろ家族の希望が強く感じたり、ときには支援者の方が支援したくてしかたがないのでは?と思うような場面も沢山ありました。
本人、本人っていうけど、「本人が望んでない」「本人は言ってない」ということが当時スタッフの間でどう捉えるかで課題になったり、「本人が言っている」「本人はそうしたいらしいのだけど、際限がない」など、本人の希望があるのだけどわかりやすくなかったり、どこまでその希望に添えばいいのか悩んだりすることも多かったです。

最近は、支援は「おせっかい」なんじゃないかって思っています。
だから「しない」とか「するべきじゃない」とか、そういうことなんじゃなくて、「おせっかい」だけどやらないとなんだか気持ち悪い、後味が悪いっていうことは支援としても大事にしていくってことです。
逆に、所詮どんなに本人が望んでいても、支援者が解決する支援者の問題や課題ではなく、本人が自分のものや充実感として、生活の中でクリアにしていくってことを大事にしたいってことです。
じゃあ、「障害」って本人の問題かっていうツッコミもありそうだけど、それはそういうことじゃなくて、障害がある=支援が必要ということだけが福祉の役割ではなくて、障害のある人が社会の中で自分だけではクリアにならないものは社会にとっても課題だから、支援を通じて考えていくことで広がるってことなじゃないかな?と。

「おせっかい」だから、チームでよく相談したり、第三者の人と連携とって確認しあったり、もちろん利用する人・メンバーの意思を尊重もする必要があるんだと
考えると、ああやっぱり「支援=おせっかい」ってすごくしっくりきます。
支援者が専門家だろうがドシロウトだろうが「おせっかい」焼いているだけだから、そのことについては相手のせいや責任にはできないし、「おせっかい」って思っていた方が、自分たちは「チームとして何やってんだろ?」って振り返られる。
勝手な「おせっかい」や単独プレーはブーメランのように跳ね返って来るわけです!
おお…。

「じゃあ、勝手に自由に生きて、困っても知らないよ」っていうのも、何ていうか支援者としてあまりにも張り合いがないな―と。
つまり、袖触れ合うも他生の縁って、巡り合ったんだから、お互い無視はできないし、巡り合った以上は何かしてあげたい。
これは、ぼくの前職の職場のトップの言葉だけど。
だけど、それが人ってもんだなって思います。

支援者の都合過ぎる、おせっかいが過ぎることって支援としては過剰だし、逆に利用する人や周りの人たちが福祉サービスに対して過剰な期待をいだき過ぎてギスギスしちゃって、どちらにしてもそれが感情的に「やさしくしたい/やさしくしてほしいけど憎たらしい」みたいな、変な感じになってしまうのは本末転倒、後の祭。
支援者も人だから自分に期待してほしいから、そういう気持ちも持つだろうし、それは自分を大切にするためには大事だけど、あまり過度に「支援だから」とスタンスやポジション、その言葉にばっかり気を取られていると、大事にしたいことがスルンっとどこかに抜け落ちていってしまいそう。