苔おじさんのリベルテ通信

NPO法人リベルテの日々を苔おじさんと呼ばれている代表がつづります。

ダイアリー20170914

今日はケア会議や打ち合わせから戻ると発達障害のお子さんを持つお父さんが約1年ぶりに遊びに来られていました。
以前もリベルテを子どもに利用してもらえたらというお話だったけど、対象年齢が低かったり、使える障害福祉サービスをリベルテが実施していなかったり、そしていちばんは自分の知識不足で返答できませんでした。
リベルテの福祉サービスやアトリエを利用する人たちにとって、リベルテは家以外の居場所である人が多いけど、けっしてこの「場」が単なる福祉サービスや仕事場、ましてやサードプレイス何ていう積極的かつポジティブでリア充が集まるところという理由だけで選んでいる人はいません。
たぶん。
というか、サードプレイスを自分で見つけて、自らサードプレイスとして周囲の見知らぬ人間と活発なコミュニケーションを結べるなら、たぶんここには来ないし、リベルテを必要としていないと思う。
リベルテはもっともっと至極個人的な理由で、これからアタックする山(それは太郎山かエベレストか、はたまた公園の砂山か)の前のベースキャンプのような存在なのだ。
もしかしたら未だに多くの尊敬すべき福祉施設や何かのふりをしながら地域や人と人とのつながりを模索している人たちがそうであるように。
リベルテもそうだったら良いなと思います。

福祉サービスは制度化されて柔軟性を失ったという人もいる*1けど、制度外の方法で地域福祉や地域づくりを自立して行えるほどタフな個人も組織は数えるほども存在しないと思います。
タフな人がある種のカリスマ性とコミュニケーションで切り開いていく方法としての制度外の場づくりと、ぼくのような軟弱ハゲ野郎が頑張ればできる居場所づくり、その両方について、もっと考えていかなければ、結局、制度外のことが制度内に絡め取られたとたんに陳腐化させれ、下手すると営利事業の食い物になってしまうのだと思います。

理想とはかけ離れた現実の中で、ああだこうだと言いたい口を結んで制度と制度を掛け渡し、制度と障害(バリア)の間に妥協点を見つけ、個人の生活にある見えない停滞感や疲弊感の壁を穿つことを、目の前に人と考えていく。
こう書けばかっこいいけど、それを始めること、それを続けること、それをやりぬく工夫を見つけ先を照らすことの難しさに、実践者はいつも苦悩や葛藤しています。
ぼくも、多くの実践者には遠く及びませんが、その一端にいようと思っています。
ネガティブでもポジティブでも楽しくてもつらくても、いつだってリスクの中に身を置きながら、人がより共感し応援してくれるように(応援してくれなくても)、一人でも必要としてくれるのなら、ない知恵を総動員して、いや知恵なかったらどんどん分野や自分のこだわりとか関係なくインストールして実行できるように、それがたぶん福祉であり、居場所をつくる側のスタンスには必要なんだと思う。
思うし、こんなふうに言葉にしてしまう時点で、ぼくは未熟なんだと思うけど、されど制度外だから制度内だからなんて関係なく、今必要な場や福祉のあり方について考えていきたいなと、1年ぶりにお子さんの居場所を求めて来られた方に再会し考えたのでした。

*1:しかもその多くはその制度化を推し進め、担ってきた人だったりすると、とても残念んだ。