苔おじさんのリベルテ通信

NPO法人リベルテの日々を苔おじさんと呼ばれている代表がつづります。

あなたとぼくと、この場所で(企画に寄せながら、メンバーにも向け)

リベルテが主催としてトークイベントを行います。

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今回のトークイベントのテーマとした「居場所」について

ぼくがこの障害福祉の仕事を始めた頃、現場では支援費制度から障害者自立支援法、そして現在の障害者総合支援法という流れの中で「サービス」という言葉が日常的に使われはじめました。
そして「計画」にもとづいて行われることが義務化される過程を経験してきました。
もちろん、それは障害のある方たちにとって自身の生活のための社会資源として、福祉施設や支援を受ける機会は公的な選択として整ってきたということでもあります。
また「一般就労や自立の訓練」「福祉的就労」や「障害者の芸術・生産活動」といったサービスの内容についてオリジナリティや社会的な評価が一般企業と同じように問われる時代にもなりつつあると感じています。
サービスを受けることができる「選択」が仕組み・形式として整い、障害のある人自身だけでなく家族もサービスとしての福祉を評価し、選ぶことができるようになりました。

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そんな時代の変化を感じつつも、ぼくは現場で、その現場をともにする障害のある人たちやスタッフと、支援する/支援されるというような関係では捉えられない、ただ一緒にいるだけで良いんじゃないかと思う瞬間が沢山感じることがあります。
どうしてそんなふうに感じるのかわかりません。
だけど、ぼくはそんな瞬間にふと思います。「支援しているはずのぼくがいちばん、ここにいることを楽しんでいる」と。
こんなサービス提供者の感想は、「本人」中心主義のこの現在において時代錯誤な感想なのかもしれません。
スタジオライトを利用する方を差し置き、ぼくがいちばん楽しんでいるなんてことはもっての外だと言う方もいるかもしれません。
当事者として障害のある日々に対して、楽しんでいるとは何事だと言う方もいるかもしれません。
利用しているメンバーや家族がスタジオライトに対する期待に対し、ぼくの配慮の至らなさに不満や不安を抱く方もいらっしゃるかもしれません。

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福祉現場に限らず、今すごく勤勉さと、同時にその勤勉さを受け止めるためのユーモアが求められる時代だと感じています。
勤勉さやユーモアも、前者は仕事ができることだし、後者はコミュニケーションが上手なことだったりすると、両方あんまりの人は生きづらい時代だなーと思うのです。
基本口下手で、人と話すとすぐ冷や汗かいてしまうぼくなんかは、コミュニケーションが前提のサードプレイスは敷居が高かったりします。
(むしろアリオ上田のLoft前のTVコーナーとか、スーパー原信のイートインスペースの方が、ぼくにとってのサードプレイスだったりします笑)
というか「ウェーイ!オレ仕事が出来てコミュニケーション、バリバリっす!」ってどれぐらいの人が自信をもって言えるんだろう?
「サードプレイス」ということばが、今やコンビニエンスストアのキャッチコピーにも用いられているようになっているこの時代の背景に、勤勉さとユーモアを強調されることなく「何となくダメな自分で入れる場所」が必要とされているんじゃないかと思ったりします。

福祉から居場所を考えるということ

ケアに話を戻せば福祉や医療の現場というのはシビアな場面もあれば、どんどん介入して行かなければならない事態ということが起こります。
自分の家族もそういう経過を経てやっと日常生活を取り戻したりしているところに立会、キレイごとでは済まされないし、実際に支援者や関係者、もっと言えば社会に対して変わってほしいと切実に思うこともあります。
だけど、ぼくは、もっと大事にしたいことは、例えばリベルテで出会う人がそこに「いる」ということです。

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ちょうど2年前にスタジオライトのメンバーであるIさんが自宅で突然亡くなりました。
亡くなる少し前、ぼくは彼を自宅に送る送迎の中で、「この人といつまでも一緒にいたいけど、いつまで一緒にいれるんだろうか。40代のIさん。あと15年ぐらい(だったらいいなぁ)?」とボンヤリ考えていました。
去っていった彼は、あなたは、ぼくのことをどう感じていたんだろう。
彼が去ったあと、メンバーやスタッフは彼にことをどう感じているんだろう。
彼を知らないメンバーやスタッフにとってリベルテはどんな場所に映っているだろう。
表現や仕事、ケアやコミュニティー、そして「福祉」を考えるときにサービスとしての側面からだけではなく、「あなたがいるからぼくはここにいるんだ」というただ一緒にいるだけでその場が成り立ってしまうそのことを考えたいし、リベルテにはそれがあると感じています。
「あなた」と「ぼく」が「する/される」という関係を組み替えてしまうような共同性をぼくは、今、ここ、目の前の一人ひとりとの関係とこの場所に強く感じています。

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できていないことって、どうしても目につきます。
だけど支援者が利用者の出来ていないところを出来るようにしようと、その人の本来の願いや希望とは違う物語をケースと呼ぶことがあるのだとしたら。
利用者は期待ばかりを支援者にもとめて、着地する未来や社会性への回路が施設内で閉じてしまうことに気づけない仕組みになっているのだとしたら。
家族や関係者が袋小路のように困難さに打ちひしがれてしまうときに、その感情が弱い立場に向かってしまう前に。
もう一度、勤勉という誰にとっての?という曖昧さや、「ユーモア」のもっと緩やかで言葉に限定されない意味や交流について考える機会が必要なんじゃないかと思ったりしています。

こんなカタ難しい文章を書くのも、ぼくの場合は一種の切実さ。
だけど、最近ブログ書かないのも何だか充実しているからで、発信しなくても満足なことが多いし、これから取り組んでいかなければならないこともあって、もちろんリベルテの日々があればイイじゃんって気持ちなんだけど。
経営の苦労?や葛藤!も、メンバーやスタッフやファンや友人たちのとの日々があれば、充実していると感じられるのは、すごく良い循環の中にぼくもみなんの輪の中にいるんだと思います。
そんな話をしたりしなかったりだと思うけど、トークイベントで問題提起したいのは、そんなこと。

さて、最後まで読んでいただけたということは、こちらのトークイベントもきっと楽しめると思います笑
↓↓↓くわしくはフェイスブックイベントページから↓↓↓

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どうぞ宜しくお願いいたします!